家庭、何?
思うに、自己肯定感は家庭環境で養われるものだと思う。学校もすこし噛んでる部分はあると思うけど。
基本的に思うように子をコントロールしたい人と、養うという使命は果たしているがスポンサーとしてのスタンスでしか子に接せられない人に育てられてきた。
顔色をうかがって生活をし、いい子でなければご飯を抜く洗濯はしないお前に関することはすべてやらない自分でやれ、やっても私の職場(家)で勝手に振る舞うのやめてもらえる?みたいな態度で関わられたら歪むわ。
失敗は本来そこから学ぶことがあれば次から気をつけよう、そういうことがわかってよかったね、と前向きに捉えられるはずなのに、失敗をしたらお前に価値はない、価値のない人間に興味はないと1番親しい人に宣言されてしまったら。
ちゃんとするのが当たり前、褒められることではない。まだ学校の先生のほうが褒めてくれる。100点すごいじゃん!って。しんどいね。しんどくないですか?
決めてかかる。性格を揶揄する。なんでわかってくれないんだろう。なんで思ったことややったことが否定されてしまうんだろう。
…とかもっと色々思うことはあるんだけども、そういうのって毒親の振る舞いなんだなあということが、同じ境遇のひとの話を聞けて再認識できて、それで「わたしたちは悪くないんだよ」っていう言葉をかけてもらったのがすごく今になって心に響いて来てて。
それを聞いたときは罪悪感がすごくて、そんなことを思っていいのかなっていう気持ちが凄くて歯切れの悪い返事しかできなかったんだけど、だってそういうふうに思うように育ってきちゃったんだもん、っていうことも聞いて、そうだよな…となった。
もちろん被害者意識を強めてそれを盾にしてわたしかわいそう攻撃に使うというのは違うんだけど、そういう意識を自分の中に新しく作り上げて、単純に僕がいま生きづらいのは僕のせいではない、ということを自覚できるようになったのが大事だと思った。
家庭はもうどうしようもできなくて、育てた人たちは僕への認識や扱いが変わって善く(?)なることはないので、本当に家庭で欲しかったものを手に入れるには新しく家庭を作るしかない。というのはよくついったーで言っている話。
幸い離れているので、ちゃんとあきらめて、べつの場所ではつらつと生きたいね。同棲!