はつらつといきる

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はじめての家族会議

上記は、弟が大学についていけず中退し家族会議が毎週のように行われている中、会議中の両親の様子を見ていて思ったことだった。

たとえば、オンライン学習プログラムで学びたい、と言っている弟に対して、父は「基本的に人間は自主学習できない。これから自主学習でやろうとしていることも長くは続かない。」と達観したように主張する。

これを聞いて僕は、父が弟に学費を出したくないのかなと思ったわけだ。(僕はけちなので…)

でも父はそういうことではない、と言う。

それだったら好きにやらせてあげて、合わなかったりやっぱりできなかったときにまた次の策を一緒に考えてあげれば良いんじゃないかなと思うんだけど。と言っても、そうは言っても…の一点張りである。

そういう物言いでしか、心配できないようなのだ。

僕には矛盾した言い方だと思った。子を認めているのなら、たとえ失敗して人生に絶望しても最後に頼ることのできる存在として親が構えているべきだ。親が、「この子は何もできないんだから」と言ってすべてをケアしようとしても、子には子の意思があり、その意思までケアすることはできない。(もちろん弟自身も生意気で、雑に人生生きていけると考えているフシはあるため、それを親に真っ向からぶつけてしまうがゆえに会話に軋轢を生じるのがしょっちゅうだが…)

いい意味で言えば、子のすべてをケアしようとして、できなかった部分が彼らに後ろめたさを与えているんだと思う。僕も将来や職に困ったときに父に電話してしまって、なぜか「俺らしか相談できる人いなくてごめんな。」と謝られた。それは多分僕に友達が居ないからなんですよ。余計惨めだわ。やめろ。

つまりは、子のことを支配しきれなくて、その支配しきれなかった部分から「俺の子」でなくなっていくのが怖いのだ。

 

子のことを完全に支配し切るか、そうできなければはじめから子ではない、みたいな価値観を以て育てられたため、ゼロイチで判断するようなところがあるから、責任を全部とる=支配しきるか、責任を一切取らない=子として支配するのを諦めるのどちらかにすればいいのに。と思ってしまったんだけど、境界性パーソナリティ障害(ボーダー)のことをうろおぼえでいたので、絶対的完璧主義思考は特に境界性パーソナリティの「障害」には含まれてなくて(障害を引き起こす要因にはなりうる。)簡単にボーダーぶるにわかぶりが露呈したツイートでした。

おしまい。