はつらつといきる

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「なんでそんなこともできないんだよ」とイラつくあなたへ❤

「なんでこんなこともできないんですか(私ですらできるのに)」とか「なんで気を利かせられないんですか(私ですら気を利かせられてるのに)」は明らかに呪いから来てる考え方だと思う。

呪いというのは、生まれ育った環境や親との関係性から根付いてしまった悪い考え方のようなものです。

この考え方でイライラしてしまうのは、「今までその程度のことなんて普通にやってきても報われなかった私の目の前でよくそんな悪びれもせず無能をさらけ出せますね?」みたいなかなり偉そうで攻撃的な意識があるせい。

それはいままで自分が無能とされてきた、報われなかった過去に自分が納得がいってなかったり、そういう扱いをしてきた相手を許せてなかったりしてるということだったりする。

もしそういう過去のことに納得して、許しをあたえてあげられているなら、目の前で無能をさらされてもそれにイライラせず寛容な気持ちで接することができるのではないか。(まだそんな気持ちになれていないので憶測ではあるけども)

失敗した過去を何らかの形で消化していないと、いざというときに気持ちがそこに引っかかってしまう。

 

また、この呪い的考え方の明確に良くない点は、何かしらでマウントを取って自己を肯定している以上、マウントを取れない事実が一つでもあると自己を否定することになる点である。

その事実をごまかすために、自分がマウントを取れる部分では相手をとことん攻撃して勝っている相対的評価を強調することや、異様に攻撃的になることでバランスを取ろうとするのだと思う。

呪い的考え方をやめる(までいかなくてもうまく付き合う)には、まず自分がそうやってマウントを取ってしまうことを把握し認める必要がある。

つまりは自分が人と自分を比較して見下しがちであるということを認める。そういった点では自分はいい人ではないんだ、ということを認める。

そして、なぜそういう考え方が根付いてしまったのかを探って、経験と呪いの関係性に納得する(=呪いからの解放)か、新しくどういった考え方を取り入れて実践していったらいいのかを考えながら試行錯誤する(=呪いの更新)必要がある。

特に呪いからの解放は本当に難しい。自分にとっては不条理だった経験を許さないといけない場合が多いからだ。

過去のことは今更変えられないから、どうにか理由をつけて今許すしか解決する方法がない。

呪いの更新は、「ネガティブ・ケイパビリティ」なんて言葉もあるけれど、解決できない問題をうまいこといなして抱えて生きていくということに近い。

そうやってなんとか生きている間に、いろんな考え方に触れて自分に適用してみて、過去に納得のいく理由をつけていくのだ。

 

そしていつか、無能な方に対して「無能だなあ」という慈悲溢れた気持ちを持てるようになれたらいいですね!